S50年卒 田之上誠文さん 南九州市立別府小学校校長 
 KTS「ナマイキVOICE」出演(H20.6.21放送)
 【ご紹介】 田之上誠文(たのうえ・まさふみ)    
 <額歴>
 鹿児島玉龍高校 S50年卒(28回卒)
 早稲田大学卒業
 <職歴>
 小学校教諭 :約14年
 保健体育課 指導主事 :約7年
 小学校 校長 :2校目

 【放送内容】 KTS「ナマイキVOICE」(H20.6.21放送)    
 インタビューにて・・・現況を語る
 『今、違う人間を今楽しんでいる』
 『ここの学校でも毎日が楽しいです。』

 
 あだ名はクマと言われ、体育会系の熱血教師であった。
 しかし・・・
 2006年2月24日突然の脳内出血。
 自慢の体はその日から自由を奪われ
 苦難の日々が始まる。
 ある日・・・
 『病室のあの窓から飛び降りればと・・・本当に思いました。』
 『窓から一番遠いところにベッドがあってそれで死ねなかった。』
 『その時だけ泣きました。・・・一晩中泣きました。』
 『でも、家内(妻)と子供達に支えられて"生きなくちゃ"と思った時に学校に帰ろう!と思いました』

 
 4ヶ月後・・・
 見事、職場復帰を果しました。
 不安だった校長先生の心を支えたのは、"子供たち"でした。
 職場では、靴を履こうとすると、子供達が手伝い、鞄を持ってあげたり、スロープもない手すりもない古い校舎で、子供達の肩や手がが支えとなっています。
 
 子供達のインタビューでは・・・
 『校長先生に靴を渡したりした』
 『心配だけど大丈夫かなぁって・・・』

 
 ある日、校長先生の机の上に、子供の手紙がそっと置かれてありました・・・
 『校長先生へ
 仕事でこまった事などが、ありましたら、手伝うのでいつでも声をかけてください。』

 これは、校長先生の一生の宝ものだそうです。
 
 以前の私を、先輩はこう言いました。
 『ブルドーザーみたいな男』
 その名前の通り、自分が率先して何もかもという人間だったそうで、今はできません。みんなで一緒に行こうかとか・・・スタンスが全然変わりました
 
 ある日、学校周辺の清掃作業にて、ごみ袋を持った校長先生に
 『持てる?』と、1年生が言いました。
 校長先生は、
 『うん、持てるよ。ありがとう』
 『持てる?』という小さな一言が、心に暖かく響きました。
 【思うこと】
 当時、九州合宿(島原市)というのが正月の恒例で、OBとして田之上さんも顔を出され、ご指導して頂きました。指導中、ナマ太い声が体育館に響き、よく怒られた(ご指導)ことを覚えております。自分はセッターで主将を務めましたが、2年生の時セッターとしての道を切り開き、バレー人生を全うできたのも田之上さんのおかげだと今でも思っております。遠征先にいけば、石野監督のワゴン車と田之上さんの高級車クラウン。生徒は、どちらに乗るか楽しみにしてましたが、レギュラー組は当然のように、遠征途中で2回ほどエンストしたワゴン車に乗せられました。クラウンに乗る補欠組に対し、これほど羨ましいと思ったことはありませんでした。そんな田之上さんも大学卒業後、教員という道を選択され、体育会系教師とし、玉龍の伝統である文武両道を全うされ、現在に至ります。事の発端は、先日、高崎さん(S54年卒)とインターハイ予選で隣同士で応援していた時、田之上さんの現況をお聞きし、早速KTSの方に話したところ、トントン拍子に事が運び、放送出演に至りました。放送での田之上さんのあだ名はクマ・・・(そん通り)。放送を見て感じたことは、田之上さんの逆境・苦境に対する前向きな姿勢にも感銘しましたが、何より今置かれている職場並びに子供達の優しさに感動しました。特に校長室に置かれた1枚の手紙。大人に言われてすることでなく、子供達が自発的に、素直に表現している姿が心に響きました。機会があったら皆様も話ししてください。多くの感銘を受けることと思いますし、我々自身も今、田之上さんに出来ることを恩返しする(身近なこと)ことが、周りを幸せにすることではないかと思います。放映収録のDVDを私の方で預っております。見たい方は連絡ください。発送いたします。
 最後に、恩師石野先生へ。家族を犠牲にして我々にお付き合いし、またご指導して頂きありがとうございました。玉龍バレー部は、こうしたOB、諸監督に支えられ、伝統の継承に至ります。こうした伝統を背景に古豪復活を目指し、現役諸氏(石田尾監督以下選手)もがんばっております。今後とも玉龍バレー部をよろしくお願いします。
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